栃木県のしもつかれ:初午に捧げる郷土の味、鮭の頭に宿る知恵と家庭での楽しみ方
栃木県の冬の風物詩「しもつかれ」とは
日本の各地には、その土地の気候や歴史、文化に根差した独自の郷土料理が存在します。栃木県で冬の終わりから春先にかけて作られる「しもつかれ」もまた、強い個性を持つ代表的な郷土料理の一つです。鮭の頭や大根、人参、大豆(煎り豆)、油揚げなどを、酒粕と一緒に煮込んだこの料理は、その独特の見た目と風味から「好き嫌いが分かれる料理」として語られることも少なくありません。しかし、しもつかれには、厳しい冬を乗り越えるための先人の知恵や、地域の信仰に深く根差した歴史が息づいています。
この料理は、旧暦の初午(はつうま)の日(新暦の2月頃)に作り、稲荷神社に供えたり、近所や親戚で分け合ったりする風習があります。単なる冬の保存食としてだけでなく、五穀豊穣を願う行事食としての側面も持っているのです。この記事では、しもつかれの由来や歴史、家庭で楽しむためのポイント、そして意外と簡単な家庭での作り方をご紹介します。
しもつかれに隠された歴史と文化
しもつかれの正確な起源は定かではありませんが、その名前や調理法からは古い歴史が垣間見えます。名前については、「酢むつかり(すむつかり)」が変化したという説が有力です。「酢むつかり」とは、大豆や野菜を煮て、酢を加えて発酵させた古代の保存食を指し、これがしもつかれの原型と考えられています。また、「染みつかれ」のように、味が染み込んで疲れたように見える煮崩れた様子を表すという説など、諸説が存在します。
特筆すべきは、初午の行事食としての位置づけです。初午は、稲荷神社の祭神が降臨したとされる日で、稲作の神への感謝や豊作の祈願が行われます。しもつかれを供える風習は、米や大豆といった穀物、そして冬に貴重なタンパク源となる鮭を無駄なく使い切るという、農村の生活の知恵と、神様への感謝の気持ちが結びついたものと言えるでしょう。
また、鮭が使われるのは、冬の時期に比較的入手しやすく、長期保存が可能な魚であったこと、そして鮭の頭に残った身や骨からも出汁が出て、滋味深い味わいを生み出すことができるためです。酒粕や酢(酒粕の発酵による酸味)は、保存性を高める役割も果たしていました。このように、しもつかれは、質素倹約の精神と食材を最大限に活かす知恵が生んだ、理にかなった保存食でもあったのです。
しもつかれの魅力と家庭での味わい方
しもつかれの最大の魅力は、その複雑で奥深い味わいです。酒粕由来の芳醇な香り、鮭の頭から出る濃厚な旨味、大根や人参の甘み、そして大豆のほっくりとした食感が一体となります。酒粕の種類や量、煮込み時間によって、酸味や甘み、とろみ加減は家庭ごとに異なり、「おふくろの味」としてそれぞれの家庭で大切に受け継がれています。
出来立て熱々をいただくのも美味しいですが、一度冷まして味を馴染ませ、温め直すとより一層美味しくなります。ごはんのおかずとしてはもちろん、日本酒や焼酎のおつまみとしてもよく合います。また、パンにのせて焼いたり、グラタンの具材にしたりと、現代風にアレンジして楽しむ家庭も増えています。
家庭でしもつかれを再現するためのコツ
しもつかれを家庭で作ることは、一見難しそうに思えるかもしれませんが、いくつかのポイントを押さえれば意外と簡単に作ることができます。ここでは、家庭で作りやすいレシピのポイントとコツをご紹介します。
主な材料:
- 鮭の頭: 1尾分
- 大根: 1/2本
- 人参: 1/2本
- 煎り大豆(節分豆): 50g
- 油揚げ: 2枚
- 酒粕: 100〜150g
- 出汁(または水): 500ml〜
- 醤油、みりん、塩: 適量
- 酢(好みで): 少々
レシピのポイントとコツ:
- 鮭の頭の下準備: 鮭の頭は臭みを取るのが最も重要な工程です。まず、包丁で半分に割り、血合いを包丁やタワシで徹底的に洗い落とします。熱湯でさっと湯通し(霜降り)するか、塩を振って軽く焼き色がつくまで焼くと、さらに臭みが取れます。エラなど食べられない部分は取り除いておきます。
- 大豆の準備: 煎り大豆は固いので、たっぷりの水に一晩つけて戻し、柔らかくなるまで茹でておきます。節分豆がない場合は、乾燥大豆を戻して茹でたものでも代用できますが、煎り豆特有の香ばしさが風味のポイントです。
- 野菜の下準備: 大根と人参は、鬼おろしですりおろすか、千切り、あるいは細かく刻みます。すりおろすと煮崩れてとろみが出やすく、刻むと食感が残ります。お好みに合わせて調整してください。油揚げは油抜きをして細かく切ります。
- 煮込み: 鍋に鮭の頭、大根、人参、煎り大豆、油揚げ、出汁(または水)を入れて火にかけます。アクを取りながら、野菜が柔らかくなるまで弱火でじっくり煮込みます。
- 酒粕を加える: 酒粕は分量の出汁(または水)の一部で溶いてから加えると、ダマになりにくいです。煮込んでいる鍋に加え、全体になじませます。
- 味付け: 醤油、みりん、塩で味を調えます。酒粕自体の風味や塩分が異なるため、味見をしながら少しずつ加えてください。好みで少量のお酢を加えると、より本格的な酸味が出ます。
- 仕上げと寝かせ: 全体に味が馴染んだら火を止めます。しもつかれは、温かいうちよりも一度冷まし、味が全体に馴染んでから温め直す方が美味しくなります。冷蔵庫で一晩寝かせると、さらに深みが増します。
注意点: 酒粕を入れると焦げ付きやすくなるため、煮込んでいる間は時々鍋底を混ぜるようにしてください。また、鮭の頭の骨には注意が必要です。
食材の入手方法について
しもつかれの材料で特に特徴的なのは「鮭の頭」と「煎り大豆(節分豆)」、そして「酒粕」です。
- 鮭の頭: 年末年始や冬場の旬の時期には、地元の魚屋さんや大きめのスーパーの鮮魚コーナーで比較的手に入りやすいです。切り身の近くに置かれていることもあります。新鮮なものを選ぶようにしましょう。もし生の頭が入手困難な場合は、塩鮭のアラなどで代用するレシピもありますが、生の頭の方がより濃厚な出汁が出ます。
- 煎り大豆(節分豆): 節分の時期には多くのスーパーで販売されますが、それ以外の時期は入手が難しい場合があります。乾物専門店やオンラインストアで「煎り大豆」として探すと手に入ります。もし見つからない場合は、普通の大豆を水に戻して茹でたものを代わりに使うことも可能ですが、煎り大豆の香ばしさはしもつかれの独特な風味の一部を担っています。
- 酒粕: スーパーの発酵食品コーナー、酒屋、地域の酒蔵の直売所、オンラインストアなどで一年中手に入ります。板粕、練り粕、バラ粕など形状があり、それぞれ風味や扱いやすさが異なります。お好みの酒粕を選んでみてください。地元栃木県の酒蔵の酒粕を使うと、より地域らしい風味になるかもしれません。
大根、人参、油揚げなどの他の材料は、一年中どのスーパーでも手に入ります。
地域文化とともにあるしもつかれ
しもつかれは、単なる郷土料理に留まらず、栃木県の冬の暮らしや文化に深く根差しています。初午の日に家庭で作られ、地域内で交換される習慣は、人々の結びつきや助け合いの精神を象徴しています。それぞれの家庭で守られてきた「我が家の味」があり、それが地域全体の多様な食文化を形作っています。
見た目のインパクトから敬遠されがちな面もありますが、その背景にある歴史や、食材を大切にする知恵を知ることで、しもつかれはまた違った輝きを放ちます。冬の厳しい寒さを乗り越え、春の訪れを告げる初午の時期に作られるしもつかれは、栃木県の人々にとって、温かさと滋味深さを届ける大切な存在なのです。
まとめ
栃木県のしもつかれは、鮭の頭や酒粕を使った個性的な郷土料理です。その独特の味わいは、単なる奇食ではなく、初午の行事食としての信仰、冬の保存食としての知恵、そして食材を無駄にしない工夫が詰まった、地域の歴史と文化の結晶と言えます。
家庭で作る際には、鮭の頭の下処理や酒粕の扱いがポイントとなりますが、丁寧に作れば、自宅でもその奥深い滋味を味わうことができます。鮭の頭や煎り大豆といった特徴的な食材も、探せば意外と身近な場所やオンラインで入手可能です。
ぜひ、この記事を参考に、栃木県の冬の知恵と温かさが詰まった「しもつかれ」を家庭で作り、その歴史や文化に思いを馳せながら味わってみてはいかがでしょうか。そこには、郷土料理ならではの発見と感動があるはずです。